延徳寺沿革 About Entokuji

正式名称「潮留山 延徳寺」

潮留山 延徳寺の写真 正式名称は潮留山延徳寺(ちょうりゅうざん えんとくじ)という。延徳2年(1490)に開山した為、その元号を頂き延徳寺と号し、江戸時代は日本橋にあったとされるが詳しい資料は明暦3年の江戸三大火の筆頭、俗に振袖火事(1657)により本堂と共に焼失したとされる。

潮留山 延徳寺の写真 その後は幕府の区画整理の為に本願寺と共に寺基を築地へ移転し築地本願寺の塔頭(たっちゅう)となる。また築地の地においては汐留付近に位置していた為、併せて益々仏法が満潮の時を迎え、永く留めておくという意味で山号を「汐(引き潮を表す)」を「潮(満ち潮を表す)」の字に改め潮留山とした。

そして大正12年に起こった関東大震災(1923)により再び焼失し、帝都復興計画に基づき区画整理が行われる中、関東の地における新たな教線拡大の為に昭和4年に現在の大田区に移転した。住職は開山より数え現在で18代目である。